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写真鑑賞論① 〜それはアートではない!〜

「写真」との関わりはこれまでの記事で幾度か挙げてきた。写真というメディアの可能性、面白さというのは現存する芸術分野の中でも際立ったものでありながら、その魅力を十全に感じるには絵画や舞台芸術と同様に鑑賞者側にある程度のリテラシーとインテリジェンスを要求するものなんだけど。

 

なぜかその鑑賞方法について体系化された文献などがあまり見当たらないのが実際のところなんだわ。俺自身がもっともっと刺激的な写真、新しい写真表現というものを観たいと思っているのだけれど、この分野で有望な芸術家を養成しようと思うと当然のことながらオーディエンスの数と質を挙げていかなくてはいけないワケで。誰かがその魅力と見方を指し示す必要があるんだ。

 

そんなわけで、俺なりの写真という芸術の鑑賞法を何回かに分けて書いておきたいと思った。多少ペダンティック(衒学的)な書き方になるんで理屈っぽくはなるんだが、いかんせん「人文知」とはそーゆーものだから。

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「名もなき肖像」©マツダマコト

 

それじゃ始めよう。「写真」というと何を想像されるだろうか。右を向いても左を向いても街中には広告グラフィックが溢れ、ひとたびネットを覗くと有象無象の画像が氾濫している。高機能な携帯電話の普及で今や写真というメディアはかなり身近な存在となった。これほどまでに生活の中に浸透している「写真」だが、写真の機能は大きく3つに分類できる。

 

写真の機能

1.記録

2.図示

3.表現

 

写真とは「ある一時点」での図像をフィルムやセンサーに焼付けたものだから「時間」という概念を越えて複数の人間と共有することができる。FacebookやInstagramといったSNSやネットのいたるところに溢れている写真ってのは記号としての「記録」や「図示」であることが多い。

 

1.の記録はそんな写真の特性を利用してアーカイヴを前提として「メモリー」化された映像のこと。旅写真や日常での出来事を写した写真がこれに該当する。2.図示は記号表現的にある概念を指し示すアイコンとしての役割。商品写真やプレゼン資料なんかに使われる画像のこと。3.表現は写真という媒体をとおして何らかの意図を表出させたもの。芸術作品である以上、3.の表現が為されていないと作品と呼ぶことはできないよね。

 

つまり大前提として、表現手段としての写真を標榜するのなら、その1枚あるいは複数枚に何らかの意図、もしくはメッセージが介在したものでないとアートとしては成立しえないということ。

 

ところが実際に写真を趣味にしている人、写真家を名乗る人の投稿作品を見ても、そこに掲載されてる写真はどんなに「いいね!」を集めていようが、ほとんどが「記録」写真なんだわ。だいたい共通しているのは誰が見ても綺麗で、絵になる風景だったり人物写真(ポートレート)で、たいていの場合が「○○を表現しました」という一文が添えられてたりする。

 

真に「表現」されたものというのは、鑑賞者がその作品に隠されたテーマであったり意図、意味合いを認識するまでに一定の時間を要するものであるのに対して、SNS上で話題になってる、あるいは「いいね!」を集めている写真というのはコンマ何秒かの世界の中で目にされたものへのレスポンスであり、大概が「撮った」ことに対する「いいね!」であって、作品に対する「いいね!」ではない。何故にくだらない食べ物の写真に「いいね!」が集まるのか考えれば、そこらへんはご理解いただけよう。

 

では、芸術分野における「表現」とは何かを突っ込んで考えてみよう。「表現する」というのは読んで字の如く、表に出して現すということだ。ということは、表面的には見えていない隠れた何かを可視化するということになる。現す、つまり新たな意味合いを付加することで既存の枠組みでは捉えることのできなかった概念を作品をとおして表出させること、それこそが芸術上の本義であり功績としての評価軸となるものなのだ。

 

つまり既に誰かによって現された物の見方や事象は何ら価値がないことになる。端的に言えば既に発見された、あるいは発見されている様式美や「美しさ」というのは、表現などではなく只の「再現」なのだ。

 

逆説的にいってしまえば、それが「いいね!」と判断できる捉え方自体が既成の概念なので、本当の意味で表現されたものについてはそう簡単に評価などできるはずもなく。真に表現されたものには再現性のない新しさ新奇性が伴っているはずなのだから。要は未知の要素がないと、それはアート(表現)などではない。

 

だからこそ、パッと一見して「美しいと思える(理解できる)」風景やポートレートは、あくまで再現された記録や図示であって表現ではない。被写体であれ撮影技法であれ、なんらかのオリジナリティが作品には必要なんだということをまずは念頭にされたし。

 

戦前の日本で「芸術写真(ピクトリアリスム)」という潮流を生み出し一世を風靡した写真集団・浪華写真倶楽部の中でも、最もラディカルな作家として知られていたのが森山大道も敬愛する安井仲治という写真家なのだが、その彼がこんなことを言っている。

美は常にみかけの綺麗なもののなかにばかりあるものではなく、汚いもの醜悪に見えるもののなかにも美を発見する、これが作家の任務だ

 

美しいものを美しく撮ることは、誰にだって出来るってことなんだよ。

 

 

 推奨図書:

 とくに椹木野衣「反アート入門」はアートとは何か、何を以てアートといえるのかという根源的な疑問に、優れた芸術作品に隠された作者の意図を解き明かしながら鋭利な理路で自らの思考の軌跡を問うた闘争の書であり、現代アートを理解する上で最良の入門書になっていてオススメ。

反アート入門

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なぜ、これがアートなの?

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芸術の意味

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