写真の媒体論について、ちょうど違う記事で取り上げている最中なのだが今回はその番外編。今や写真を鑑賞することのできる媒体は展示や写真集など場所や物質の制限を超えた。それこそ、スマホやパソコンなどのデジタルデバイスによってネット上にアップロードされた数多の歴史的な作品さえも手軽に鑑賞することができるようになった。
アートな写真の見方・読み方を学びたい、色々なアート写真を見てみたいというのは、撮る人も鑑賞する人にとっても共通する欲求で、そーゆう意味では無料で膨大な作品にアクセスできるようになったインターネットの恩恵は存分に享受すべきだろう。しかしながら無数に存在する玉石の中からある程度をふるいにかける必要がある。そうでなくては広大な情報の海に闘いを挑もうとも荒波にのまれ、果ては大海に無惨な自らの残骸が漂うことになる。
幸いなことにInstagram(インスタグラム)の普及によって、「アートな写真」も日常的に目にすることができるようになった。世界的に評価されている写真家たちも少なからずこのSNSを利用しているからだ。そこで、もともとは撮る側の人間であった者の目線から写真の見る目を養うことができる、必見のアカウントを紹介しようと思う。
ここで云う写真家とは、あくまでコンテンポラリーアートとして、正当な芸術としての写真を追求している写真家であって、オシャレというだけのファッショナブルで美麗な写真を提示するカメラマンのことを指すものではない。“写真家”と“カメラマン”は区別せんといかんと思う次第だ。この違いがわからん御仁は『写真鑑賞論① 〜それはアートではない!〜』を参照のこと。
あくまでご注意いただきたいのはInstagramで作品を公開しているのは写真家にとっては非営利活動であり、広報宣伝的な意味合いも介在しているということ。写真家にとっても遊びの範疇にある作品を公開していることが多いということなのだ。だからInstagramで公開しているものが彼らのすべてではないし、むしろ本来的な作品になりえなかったオフショットや失敗作、実験的な作風などで構成されていると考えて然るべきだろう。
とはいえInstagramは日常をどのような視点で見つめているのか、写真家固有の切り取り方が堪能できるという点では非常に有意義なメディアであることに間違いはない。だからInstagramをとおして写真を学びたい方は、その写真家が「どう撮っているか」よりも「何を撮っているか」に着目して鑑賞されることをお勧めする。それでは以下に、フォローすべきアカウントを紹介していこう。
実はインスタを使っていた!写真界の巨匠たち
Joel Meyerowitz
1970年代アメリカのニューカラーを代表する大御所中の大御所、ジョエル・マイロウィッツのアカウント。「Cape Light」や「The Arch」など歴代の写真集はいずれも不朽の名作。もともと大学で美術を専攻し、アートディレクターから写真家に転向したエリートだけあって徹底した構図の美しさと繊細な描写、独自の審美眼はまさに瞠目。
Stephen Shore
こちらもニューカラーを牽引した旗手。この人に影響されていない写真家はいないといっても過言ではない大家。どちらかといえばコンセプチュアルな作風のマイロウィッツに対して、ショアはストリート寄りというか。より身近な景観から数多の名作を生み出してきた。どことなく“気配”を感じさせる無機質なランドスケープが持ち味だが、インスタでもその視点に翳りはない。
Wolfgang Tillmans
過去に幾度も記事で取り上げたことのある、現代写真を代表するアーティスト。アカウントのつくり的にホントにティルマンスか?!とも思ってしまうのだが、公開されている中身を見ると紛れもなく彼にしか撮りえないスタイルのものばかり。適度な遊び感覚を入れつつ、本当に無料で公開していいのかってくらいクオリティが高い作品が多く見受けられる。
Martin Parr
マグナムにも所属しているイギリスの現代写真家。自身が熱烈な写真集マニアとしても知られており、日本人の写真集の刊行にも少なからず関わっていたりする。マーティン・パーといえば、なんといっても鮮やかな色彩が特徴的。日常的なスナップショットから資本主義社会を批評し続けている。そんな彼の、どこか毒々しい作風はインスタでも健在だ。
川田喜久治
なんと、この御仁がインスタを始めていたこと自体が空前のサプライズだ。奈良原一高、東松照明、細江英公、佐藤明、丹野章らも在籍した日本写真史・最高峰の伝説的エージェンシー「VIVO」の主要人物にして、個人的にもっともリスペクトしている写真家。観念的でスキャンダラスな写真を詩情豊かに撮る稀代の映像詩人、多重露光やコラージュといった禁断の手法も活用して現代的に魅せる作風は今なお衰えず。
佐内正史
今回リストアップしたアカウントの中では少数派の日本人写真家である佐内正史のアカウント。どうやら最近になってインスタを活用しはじめたようで、近著に収録されている写真も多く見ることができる。この人ならではの淡い色彩と時間の感覚、構図の作り方もまた唯一無二。アートとファッションを綯い交ぜにして、写真に深い意味なんか求めちゃいかんと、自身がレンズそのものになってしまった稀有な作家といえよう。
世界最高峰の写真集団、マグナムの写真家たち
Alec Soth
こちらも過去記事ではおなじみの、現代写真の寵児アレック・ソス。彼が時代を引っ張っているといっても過言ではなく、ドキュメンタリーというジャンルにコンセプチュアルアートの要素を持ち込んだ。こちらのアカウントでは動画コンテンツも多く、また持ち味でもある特徴的なポートレートも見ることができる。やはり、ソス固有の美学が堪能できる。
Stephen Gill
とくに撮影時や現像過程でのイメージ操作・写真加工に関心が強く、実験的な写真で日本国内でも評価が高いイギリスの写真家。作風から判断するに、たぶん横田大輔と近い問題意識を持っているのではないだろうか。現在進行形で制作中のプロジェクトや展示の様子など、自身の活動報告の合間に日常のスナップショットや断片的な作品も投稿している。
Bruce Davidson
伝説のグラフ雑誌『ライフ』でカメラマンを務め、アンリ・カルティエ=ブレッソンとの知遇からマグナムの正会員となった真正のフォトジャーナリスト、ブルース・デビッドソン。危険きわまりなかった70〜90年代のブルックリンやハーレム、ニューヨークの地下鉄などでギャングたちの姿に迫った作品で知られる彼の、新旧織り交ぜた様々な作品がたっぷりと堪能できる。
ユースカルチャー/サブカルチャーの名手
Nan Goldin
この人までもがインスタをやってたなんて…衝撃のスキャンダル!90年代に一世を風靡したボストンスクールの主要人物にしてヒップスター。日本の荒木経惟なんかとも親交があり、ゲイサブカルチャー、ポストパンク、ニューウェーブシーンを代表する写真家だ。ドラァグクイーン、ゲイ、トランスセクシュアルといった象徴的なアイコンを撮らせれば、彼女の右に出る者はいないだろう。
Jack Pierson
ナン・ゴールディンらとともに、90年代のボストンスクールというムーブメントを牽引した重要人物のひとり。ときにコラージュやペイントなども多用し、甘美でアバンギャルドな表現の中からシニカルな問題意識を浮かび上がらせる独特の作風で知られる。もともとファッションとの親和性の高い作家なのだが、そんな彼のマルチな才能が楽しめる。
Ryan McGinley
ユースカルチャーを撮らせたら、この人以上の表現者はいないだろう。フィクションとノンフィクションの間を飛び越えて、2000年代の写真史に新たな足跡を刻んだライアン・マッギンレーのアカウント。彼の代名詞ともいえるヌード作品も少なからず見ることができ、惜しげもなく自らの作品を公開している。これが最新のアメリカ写真だ、と言わんばかりの圧巻の内容。
Larry Clark
そのあまりにもスキャンダラスで衝撃的だった処女作『TULSA』が数々の写真家や映画監督などに影響を与え、ユース/ドラッグカルチャーにおける金字塔となったラリー・クラーク。往年のポートレート作品を中心にして、やっぱり様々なサブカルチャーを経由してきた人なだけにその存在感を投影した切り取り方、構図の作り方、作品のメッセージ性はかっこいいの一言。
「怖いもの見たさ」も立派なアート
Jacob Aue Sobol
芳香なエロスを醸しながら泥に塗れた人間の“生”の真実に迫ろうとする、旅するデンマーク人写真家ヤコブ・アウ・ソボル。実は彼、マグナムの正会員でもある。師匠筋にあたるアントワーヌ・ダガタ直系の、ハイコントラストで濃密なモノクロの視覚世界は彼にしか見出しえないものを写し撮る。そんな彼の視覚の一端が垣間見える内容になっている。
Roger Ballen
南アフリカで人間の本性に向き合う写真を撮り続けている写真界の異端児、ロジャー・バレン。不条理を背景にした人間心理の変容を、グロテスクで呪術的な描写に落とし込む。その作風はときにダイアン・アーバスなどとも比較されることがあり、その片鱗を窺うことができる。しかし一度見たが最後、彼の視覚の罠から抜け出せるかは当ブログは一切保証しない。
注目!新進気鋭の写真家たち
Coley Brown
見知らぬ土地を旅するなかで見出した、自然物の抽象さに宿った普遍性と精神性。何やらザラザラとした砂っぽさを感じさせる独特なランドスケープ写真で、処女作『A Recurring Dream』がまたたく間に売れたアメリカ人写真家の新星。おそらくだがスケートカルチャーを経由して写真を撮りはじめたのではなかろうか。
Theo Gosselin
平穏な日々の中に刺激を求める友人たちの日常をドラマチックに写真に収め、ライアン・マッギンレーとも比較されることの多いフランス人写真家/映像作家。アートというよりは、どちらかというとファッションに寄った作品を多く投稿している。
Rita Lino
近年とくに注目を集めているベルリン在住のポルトガル人写真家、リタ・リノ。エロティックな性的表現の中に、彼女ならではの心理的描写や政治的な問題意識を潜ませている。個人的にティルマンスにも近い作風を感じさせる、ならではのフェティシズムがそそられる。
大塚和也
最後は俺に写真を教えてくれた盟友であり、同志であり、尊敬すべき写真家である大塚和也(おおつかかずなり)。基本的に被写体をとおして文明を見続けるコンセプチュアルアートの達人だが、その骨太な思念をダイナミックに、ときに形而上的にファインダーの中に落とし込む。日本で注目すべき本格派のアーティストのひとりだ。
以上、俺の視点からフォローすべき写真家のアカウントを厳選した。インターネットで写真を鑑賞するということは手軽である反面、デジタルであるがゆえに質感に乏しく、写真の魅力を十全に感じることはできない。やっぱり芸術というのは視覚と触覚によって知覚するべきものなのだ。あくまで写真を鑑賞するなら展示か写真集がもっとも適しているということを認識したうえで眺めるべきだろう。この辺の詳論は「写真鑑賞論」で、また触れていくことになる。
また注目の作家のアカウントを見つけたりしたら、随時更新してくわ。それでは、また。

現代写真論 新版 コンテンポラリーアートとしての写真のゆくえ
- 作者: シャーロット・コットン,大橋悦子,大木美智子
- 出版社/メーカー: 晶文社
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